釣り歴が長くなると、いつの間にか魚を“ただの数字”や“サイズ”で測ってしまう。
「また40cm?くらいか」
「またレギュラーサイズか」
「今日は大物出なかったからハズレだったな」
そんな言葉を、どこかで口にしたことはないだろうか?
「この程度のサイズや数は釣れて当たり前、釣れたうちに入らない」
こんなふうに思っているなら、それ、魚(命)を軽視していますよ。
大きさだけで魚の価値を測るな
釣りは、魚と向き合い、自分と向き合う、真剣な“遊び”だ。
・小さくても本気で喰ってきた魚
・警戒心が強くて見切ってくる魚
・フッキングした後も、最後の最後まで抵抗する魚
そういう一本一本に、価値がある。
サイズや本数だけで釣りを評価するようになったら、釣りそのものがつまらなくなる。
魚は“命”だ。遊びの相手をしてくれる、かけがえのない存在
私たちは魚を育てる側として、毎日命と向き合っています。
水温ひとつで調子が崩れる魚たち。
病気にかかりやすい季節を乗り越えた個体。
成長スピードや性格の違い(共食い等)に悩まされることもしばしば。
放流されている魚はすべて、環境変化に耐え、病気を乗り越え、健康で強くなった精鋭たちです。
そんな一尾が、あなたのルアーに喰ってきたとき、それを「ただのレギュラーサイズ」で終わらせるのか?
正直なところ、膨大な時間、経費、労力を費やし、神経をすり減らして育てた魚を軽視してほしくないし、釣れて当たり前とも思ってほしくない。
ここで言っている意味を理解してほしい。
決して、たくさん釣るなと言ってるわけではないし、大物を釣るなと言っているわけでもない。
むしろ、たくさん釣って楽しんでほしい。
できるだけ大きな魚を釣って興奮してほしい。
ここで言いたいのは、釣りに慣れすぎて、魚の価値・命を軽視してほしくないということ。
「釣れればいい」「数が出ればいい」──その先に何がある?
数釣りも、大物狙いも、確かに楽しい。
でも、そればかりを追っていると、釣りは消耗品みたいになっていく。
小さくても感動した一本
釣れなかったけど心に残る魚の動き
たった1バイトに全力で挑んだ時間
そういう経験や記憶こそが、釣りの面白さじゃないかと思うのです。
魚の価値をわかる人にこそ、釣ってほしい
北宮城フィッシングエリアでは、自社で育てた魚だけでなく、東北各地から選び抜いた個体も仕入れて放流しています。
個体ごとに引きも動きも違い、単調なパターンでは釣れない。
だからこそ、一本一本が真剣勝負。
魚の価値がわかる人には、それがわかる。
わかる人にこそ、うちの魚に出会ってほしい。
ここは、“魚をリスペクトできる釣り人”のための場所でありたい
たとえ釣れなかった日でも、悔しかった日でも、
「魚に対する感謝を忘れない人」に来てほしい。
生産者である我々に対して感謝しろとは言いません。
でも、少なくとも魚にはリスペクトの気持ちを持ってほしいのです。
そんな人となら、魚たちもきっと本気で向き合ってくれるはずです。
だから最後に、改めて問います。
あなたは、その一尾を“ただの魚”と呼ぶのか?
それとも、“命のこもった一本”として向き合うか?
私たちは、後者の人を待っています。